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2007年04月03日

京町家のことなど光泉洞より

京町家のことなど光泉洞より
お蔭様で、昨日無事11周年の記念日を終えました。12年目ですね。
トランプのカードの数と一緒!干支が一回りです。
この家を見つけた時は、「こわされる!」と家が叫んでました。バブルがはじけて土地神話がホウカイして・・・・のあの頃です。まだまだその後続くデフレのスタート時点。
回復しましたね!京町家って何?光泉洞ってどんな建物?
そんな疑問は以下の詳細へ。。

京町屋について

光泉洞のこと
「光泉洞」は、築100年の京町家の屋号です。
表の看板は水車板の彫り看板ですが、その看板に屋号として「光仙洞」と記されています。
前のお商売が宝石屋で、小野光さんが御池通りで商っておられて御池の拡幅の折に一筋南の姉小路に移ってこられたそうです。その時に店の造作も少し変えられて今の柔らかい女性的な表構えになったようです。御池通りは京都の市役所があって加茂川に続く広い中心の道として拡がったのです。もちろん大正から昭和の初めの頃のことです。
そして、その前は乾物屋さんのお店と隠居屋とが並んで建てられた「店」のほうの建物やったと近所の方に教えてもらいました。
そして、1996年から今の「光泉洞寿み」になって京都の家庭のお昼に京都らしいお番茶と生麩を揃えてお客様をお待ちする店になりました。

京町家のこと
私の実家は左京の吉田山の東の公務員の家でした。「四つ目建ち」というやはり町屋を町中から移築した建物で、植木屋の祖父がその前庭に池を作り表を黒塀で囲って裏庭には鶏が走っていました。伝統的な造作を持った建物でしたが住んでいる私たちに「町家」(その頃は町屋)の意識はなく、古い木造の家としか考えておりません。そのうちに建て増しをして裏木戸も閉じられて随分様子が変わってゆきました。昭和30年後半の頃です。

ここ数年前から京都市は市内の戦前の木造住宅を全て「町家」と称してカテゴライズして
景観の保存に役立てていこうというガイドラインを作りました。
それで、以前のような中京を中心とする商売をする家で伝統的な造作を持っているものだけでなく、広く町家の認識がひろがっていきました。ですから、左京の南禅寺の私の実家もいまは京町家です。

都市機能を持った場所で、戦前からある木造住宅がたくさん残っているのは残念ながら京都しかありませんね。東京も大阪も神戸まで街中は太平洋戦争のときに焼き尽くされています。近代戦ですから木造の集積地である日本の大都市は京都を例外として焼夷弾という焼くための効率のいい攻撃で何もかも失ったはずです。

さて、その残った京都。皆さんが思ってられるよりたくさんの木造の古い家が残っています。一目みると看板でおおわれて木造に見えなくても少しはがすとしっかりと古い町家がその下から現れます。どうぞ、ご安心ください。

京町家の特徴や造作は中京は御所を中心に発達しておりますので、素の木材が中心です。それらは、傷むと部分的に変えれば使えます。数奇屋の影響が強いのがデザインとしての特徴でもあると感じます。

デジタルでなくアナログ、偶数より奇数。左右対称より3対7。

光泉洞の屋号も店主の名を一字とっておりますが、仙洞御所(御所の元の名称)を意識しての命名であると感じられます。たまたま光泉洞はあまり改造されずに残っておりましたが、本来 町家は改造再生の簡単な建物です。姉小路の近くでの実例ですが店として疲れ果てた町家が、再生されて伝統的な格の高い町家に、あっという間に生まれ変わるのを見ることができました。都市という天災、人災に繰り返し会う運命の地に在る京町家は柔らかい構造と簡単に再生できる強さを持っています。そして、町中で人が出たり入ったりしやすい構造を持っており、埃だらけの路から一歩はいると包み込むような空間の演出ができる建築です。

田舎の萱葺きの大きな農家も古い木造建築ですが、そういった「民芸」との対極にある日本家屋が「京町家」だといえます。職住一体がその元の姿でそれほどの大家族は想定されていません。代が替われば別の町家に移るといった事が独特の借家の伝統とともに形成されていたようです。
都会の中の仕事も生活もできる小さな家が典型的な京町家です。その実例が私の光泉洞です。

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Posted by 諏訪 幸子  at 11:10 │Comments(2)お昼どころ「光泉洞寿み」

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この記事へのコメント
 こんにちは。先ほどはコメントを入れていただきましてありがとうございます。

 コラム4054の、のりです。
 毎日、趣味の事ばかりを書き綴っている私ですが、その側面は京町家作事組という団体が主催している”棟梁塾”というところで町家再生の勉強を現在している板金屋だったりします。

 京都の町家は素晴らしい建造物であり、京都が誇る文化であると思います。微力かもしれませんが、京町家を京町家らしく、且つ住みやすい住空間であるよう保存、改修のお手伝いが出来ればいいなと考えています。

 今は住宅を30年~50年で消費してしまう、いわば家電や車の延長線上の商品と見るような風潮さえ感じますが、家とは心の拠り所でもあるのですから、家を建てる(建築士、大工等職人)側も、家を建てる(お施主さん)側も”消費されるものとしての家”という感覚を変えていかねばならないだろうな、と思います。

 長々とコメントを書きましてすみません。

 最後に、棟梁塾で”洗い”の実習でお邪魔した”あずきや”さんというお宿の記事をトラックバックさせてください。

 お邪魔致しました。失礼します。
Posted by のり at 2007年04月03日 22:07
あら~!がてん系のお兄様の正体は作事組関係の板金屋さんですか・・・
ほぉーーー!京都は狭いので・・・。あずきやさんは、あの「あずきや」さんですよね。。コメント、トラバ 本当に有難うございました。
Posted by kosendo at 2007年04月03日 22:37
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