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2008年05月07日

近江坂本穴太衆

近江坂本穴太衆
母方の祖母の田舎は近江の坂本でした。
祖母は光泉洞の建物と同じ頃明治36年の生まれでした。
その両親が坂本のイトコどうしで、「鯉田」という
琵琶湖のそばらしい名前でした。
イトコ結婚を反対されて、駆け落ちして・・・

京都粟田口に住んでいた祖父母を頼って
京都へ逃げてきたそうです。
祖父は「植とよ」という名の植木屋業と
坂本からやってくる働き手の口入の
ような仕事をしていたようです。
知恩院の庭の仕事も引き受けていたようです。



平安神宮のそばで祖母サクは育ちますが、
サクの父は植木屋の手伝いと鍛冶屋仕事を
こなしていたようです。季節には玉露を揉んで
さいせきの「神田川」へ玉子と一緒におろして
いたとも聞きました。

母のイトコがいまだにその平安神宮のそばに
住んでいますが、学者がリサーチに
来たそうです。
「あのうしゅう」の末裔であるとの事での
リサーチだったそうです。
石組みの「植とよ」は結構大きな組織だった
そうです。
おじいさんは、金の蛇のキセルでタバコを
吸ってはって・・・とサクから聞きました。
江戸時代の生まれの祖父のはずです。
私からしたら、祖母の曽祖父。。

先日、お節句で、うちの兜が藤堂高虎の
もので、その来歴を調べて
おりましたら、石組みの衆の話にたどりついて
耳で聞いていた「あのう」というのが「穴太」であることが
わかって、野積みの石積みを「あのう積み」という
事などを知りました。
最澄が比叡山に延暦寺を建てた時に
石を組んだ集団だそうです。
最澄がそうであるように帰化人の集団です。

タグ :坂本穴太衆

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Posted by 諏訪 幸子  at 22:35 │Comments(2)諏訪幸子の気まぐれ日和

この記事へのコメント
ルーツを探す旅は思わぬ発見があって現在生存する自分がいとおしくなります。素晴らしいご先祖をお持ちのようでどうぞこれからも健やかに続くことを願います。私のご先祖様は漁師でどうも海賊であったようでもあります。
お恥ずかしい。。。
Posted by ヘルブラウ at 2008年05月07日 23:10
あらぁ、ヘウブラウ様は海の民でいらっしゃいましたか・・・
私の父方は若狭の土着なようでどうも山岳系。
海幸山幸のお話は日本の神話ですね。
Posted by 諏訪 幸子 at 2008年05月08日 14:06
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