2007年06月07日
京都二中米寿同窓会
父の同窓会に、父の残した「蓮の花」の写真のプリントアウトを持っていってきました。
この夏でまる3年になります。
春まで元気だった父がフッと消えるように亡くなったので。
連絡が行ってなかったのか、案内が来ました。
「米寿記念同窓会」
それで、ご報告がてら・・・
200人の卒業生は、大正9年生まれですから、たくさん戦争でなくなっています。
そして、敗戦。
この同窓会ででも、敗戦処理として廃校になった母校の事が話されます。
「ケインズ」というアメリカの将校が京都の占領のチーフだったそうです。
その通訳も二中の先輩だったそうです。
軍国的な教育が行われたとしての廃校です。
もう、お世話する係りが大変・・との事で
これが、最後の同窓会だとのことです。
会社の重役や社長、
大学の教授、
医師、
ご住職、
半数は耳が遠くなってられますが、
しっかりとしてられました。
父の持っていた、「淡々としたさわやかさ」のようなものが
皆さんにおありで、伺ってよかったと思っています。
そして、敗戦。
この同窓会ででも、敗戦処理として廃校になった母校の事が話されます。
「ケインズ」というアメリカの将校が京都の占領のチーフだったそうです。
その通訳も二中の先輩だったそうです。
軍国的な教育が行われたとしての廃校です。
もう、お世話する係りが大変・・との事で
これが、最後の同窓会だとのことです。
会社の重役や社長、
大学の教授、
医師、
ご住職、
半数は耳が遠くなってられますが、
しっかりとしてられました。
父の持っていた、「淡々としたさわやかさ」のようなものが
皆さんにおありで、伺ってよかったと思っています。