2007年06月05日
北山修さんの事
豊田ゆうぞうというフォークの歌い手が京都にいました。
ヴィアトールという学校の生徒でした。
カトリック系ですので、三条教会の古い建物での日曜学校?のようなところで
いろんなテーマについて語り合った事があります。
彼はそのまま「ヒロシマ」という歌を歌う人になってゆきました。
私は、日本風のディベートの曖昧さが苦手で本当に1回か2回行っただけです。
「教会へ行く」事への親の反発のようなものも感じましたし・・
(祖父母はバプティストですが・・)
さて、北山修さんもヴィアトールではなかったでしょうか?
ヴィアトールという学校の生徒でした。
カトリック系ですので、三条教会の古い建物での日曜学校?のようなところで
いろんなテーマについて語り合った事があります。
彼はそのまま「ヒロシマ」という歌を歌う人になってゆきました。
私は、日本風のディベートの曖昧さが苦手で本当に1回か2回行っただけです。
「教会へ行く」事への親の反発のようなものも感じましたし・・
(祖父母はバプティストですが・・)
さて、北山修さんもヴィアトールではなかったでしょうか?
初めて彼を見たのは、フォーククルセダースという
フォークグループが解散するという
京都会館の小さな方のホールです。
前から5列くらいしか人はいませんでした。
テレビに出て有名になった「フォーククルセダース」は
その後、この解散の時のレコードの中のお遊びの歌
「おらはしんじまったぜ」が流行って
はしだのりひこ という人を加えて
再結成したものです。
天才の加藤和彦が、ギターのチューニングがうまくゆかず、
なが~い間があくので、北山修が
必死のシャベリでつないでいたのを思いだします。
メンバーの一人が留学?やったかなんやったか・・・
ともかく、解散です。
その記念で、レコードを作ったので、
買ってくれたら、配達しますと舞台の上で言ってました。
配達してもらっとけばよかったと今になって・・
花を添えるために森山良子が来ていたような気もしますが、
また、別のライブだったかもしれません。
アコースティックの時代で、
寂しいんですよ。舞台が大きすぎて。
でも、まぁ歌はいいんですよ身近で。
フォーククルセダースという名もカトリックの学校の匂いがします。
メンバーは府立医大、龍谷、同志社の混成チームだったようです。
ひとつくらい大学名を間違えているかもしれません。ごめんなさい。
後、先日の京都の映画「京都日和」で、医学部の教授の役でていた
北山修さんを見て、その「棒読み」と京都の学者そのものの風貌に
驚きました。
精神科の医師になったという事九州大学で教えていると言う事は
風の便りでききました。
今回、彼の精神分析の本を読んでいます。
あんな歌を書いていた人が、大江健三郎のような
文体で文章を書いています。
翻訳風な展開です。主語、目的語をはっきりさせるとこうなります。
言語とカウンセリングの事がテーマで
私にはとても面白い本です。
まさか、こんな形で再会するとは思いもしなかったので、
思い出しつつ書いてみました。
言語はコミュニケーションのツールであり、暗号ですよね。
フォークグループが解散するという
京都会館の小さな方のホールです。
前から5列くらいしか人はいませんでした。
テレビに出て有名になった「フォーククルセダース」は
その後、この解散の時のレコードの中のお遊びの歌
「おらはしんじまったぜ」が流行って
はしだのりひこ という人を加えて
再結成したものです。
天才の加藤和彦が、ギターのチューニングがうまくゆかず、
なが~い間があくので、北山修が
必死のシャベリでつないでいたのを思いだします。
メンバーの一人が留学?やったかなんやったか・・・
ともかく、解散です。
その記念で、レコードを作ったので、
買ってくれたら、配達しますと舞台の上で言ってました。
配達してもらっとけばよかったと今になって・・
花を添えるために森山良子が来ていたような気もしますが、
また、別のライブだったかもしれません。
アコースティックの時代で、
寂しいんですよ。舞台が大きすぎて。
でも、まぁ歌はいいんですよ身近で。
フォーククルセダースという名もカトリックの学校の匂いがします。
メンバーは府立医大、龍谷、同志社の混成チームだったようです。
ひとつくらい大学名を間違えているかもしれません。ごめんなさい。
後、先日の京都の映画「京都日和」で、医学部の教授の役でていた
北山修さんを見て、その「棒読み」と京都の学者そのものの風貌に
驚きました。
精神科の医師になったという事九州大学で教えていると言う事は
風の便りでききました。
今回、彼の精神分析の本を読んでいます。
あんな歌を書いていた人が、大江健三郎のような
文体で文章を書いています。
翻訳風な展開です。主語、目的語をはっきりさせるとこうなります。
言語とカウンセリングの事がテーマで
私にはとても面白い本です。
まさか、こんな形で再会するとは思いもしなかったので、
思い出しつつ書いてみました。
言語はコミュニケーションのツールであり、暗号ですよね。
私でも知っている曲をたくさん作詞されて、日本を代表する精神科医さんで。なんてすごいんでしょう。
やはりヴィアトールのご出身でした。
素敵なかたがたと同じ時代を過ごされたことは、たいへんな財産ですね。
その頃の喫茶店は・・・ふたば とか、出町やなくて。
京都という町に育った何かをいつも感じます。
葵さま、
彼の精神科の書物は非常に具体的です。
神戸大のナカイ先生とも京大の河合ハヤオさんとも
また違って、ちょっとアメリカっぽいかも・・
読み応えありです。