2007年04月12日
京町家の二階は天井が低いです。

光泉洞は明治の建物ですが、姉小路に向っての二階がいわゆる「厨子作り」
半二階というわれる作りになっています。
この写真です。
二階の低さや、窓は江戸期の町屋構造をそのままに残しています。
都市は防災のため、瓦ぶきをゆるされましたが、畳は町人は許可されてなかったでしょうね。
明治になって、畳が普及しはじめたのではないでしょうか。
平民になったので。
低い二階構造は
税金の関係だったとか、お商売をするのに、えらそうに見えないように・・とか
いう理由だったそうです。
窓は典型的な虫籠窓で、あけると風が通ります。
このテーブルにすわって、少しガラス戸をあけておくと・・道路が良く見えます。
いつまで見ていても飽きません。
近所の人の出入りがよくわかりますね。
光泉洞の建物は3軒ひとまとめで、角が店、光泉洞が本宅で、東どなりは隠居屋だったそうです。
裏は庭でつながっていて、独特の構造になっています。
戦前には、近くに牛がつないであって、小学校へ行く時そのそばを通るのがこわかったそうです。
お向かいに住んでらしたおばあ様に教えていただきました。
ちょっと昔の京都の事です。
表側の2階の天井は低くて頭がつかえます。
牛はしりませんが、近くで鶏をたくさん飼って商っていた家があったとか。
この天井、本当に頭を打つので
気をつけてます。京町家の独特の作りとデザインですね。
鶏は子供の頃は家の庭にいました。庭鳥・・・。