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2009年10月28日

フォーク クルセダースの事

スパ!という雑誌を読んでいて、
光泉洞のマガジンラックにも京都案内の雑誌とともに
毎週号、置いている。
30代から40代のサラリーマンさんの雑誌。

その中に福田×坪内 の「これでいいのだ」という
放談対談があって、
その中で、加藤和彦さんの死について書いてあって、
それにしても、何故「フォーク クルセダース」?という
くだりがあった。

時代を京都で共有したものとして、

私なりに、その理由を・・・・。
クルセダースというのは、「十字軍」
聖地の奪回のために組織された例の。

加藤和彦さんだけが、龍谷大学。
他はキリスト系の大学、高校の卒業生の
グループだったので・・・というのがバックグラウンド。

同時代に豊田ゆうぞうがいて、
もっとストレートに走って行った歌手だった。今はアジア?

フォークソングがアメリカの英語の歌からやってきて・・・
初めて、日本語で「フォーク」を歌おうとした人たち。

その気負いが、「クルセダース」の名に素直に表れているだけです。
あの京都会館の第二で、5分の一ほどの観客(私たち同時代の私立の学生)
解散のために作った「レコード」・・・買ってくれるなら、配達しますと
北山修さんがMCで・・・・。たしか・・・同志社のメンバーの留学?を機に。
彼は、ビアトール高校から府立医大だったと。
豊田ゆうぞうは、ビアトールから京大に行ったのだろうか?
それとも、そのままドロップ?  覚えていない。
豊田ゆうぞうは、ソロで、グループは組んでいません。

何故、加藤和彦さんは、京都に帰ってこなかったのだろう。
うつを起こすくらいなら、帰ってくればよかったのに。
彼だけが、私立の匂いがあまりしなかったように思う。
ミカさんは、バリバリ私学。
・・・・3番目の奥さんが難だったよねぇ。
一人で年をとるのはきつかったかもしれない。
京都に帰ってきたら よかったのに。
もう一人の有名なプロデューサさんみたいに。。。

タグ :京都

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Posted by 諏訪 幸子  at 21:05 │Comments(0)諏訪幸子の気まぐれ日和

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