車石

諏訪 幸子

2008年11月05日 15:39


これは、車石の写真です。

坂本のケーブルの駅舎は大正のもので
なかなか素敵です。

その前にこの「車石」が。
牛車(うしくるま)が大津と京都の間を
荷物を運んでいた時の車道にうめこまれていたそうです。

京津(けいしん)の路面電車が走っていた
所をきっと三条通りまで続いていたのでしょうね。

説明の看板を撮ってみました。
江戸時代、大津と京都を結ぶ東海道は往来する旅人で賑わい、
また大津港で陸揚げされた米等の物資を都である京都にする
搬送する街道として重要な役割を果たした。
当時、物資の輸送手段は牛車を用いており、この区間には
交通の難所として逢坂峠、日の丘峠があり牛車での輸送を
円滑に行うために車石の敷設工事が施工された。
車石は展示してあるように、石の中央部に溝を刻みこれを
車のわだちのように二列に並べ敷き詰めて、この溝に車輪
をはめて運ぶ車道であり、文化元年(1804年)から・・・と読めます。
明治になって鉄道や電車に置き換わっていったのでしょうね。
ケーブルは京阪電車の持ち物で、その変遷をとどめているようです。
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