北山修さんの事
豊田ゆうぞうというフォークの歌い手が京都にいました。
ヴィアトールという学校の生徒でした。
カトリック系ですので、三条教会の古い建物での日曜学校?のようなところで
いろんなテーマについて語り合った事があります。
彼はそのまま「ヒロシマ」という歌を歌う人になってゆきました。
私は、日本風のディベートの曖昧さが苦手で本当に1回か2回行っただけです。
「教会へ行く」事への親の反発のようなものも感じましたし・・
(祖父母はバプティストですが・・)
さて、北山修さんもヴィアトールではなかったでしょうか?
初めて彼を見たのは、フォーククルセダースという
フォークグループが解散するという
京都会館の小さな方のホールです。
前から5列くらいしか人はいませんでした。
テレビに出て有名になった「フォーククルセダース」は
その後、この解散の時のレコードの中のお遊びの歌
「おらはしんじまったぜ」が流行って
はしだのりひこ という人を加えて
再結成したものです。
天才の加藤和彦が、ギターのチューニングがうまくゆかず、
なが~い間があくので、北山修が
必死のシャベリでつないでいたのを思いだします。
メンバーの一人が留学?やったかなんやったか・・・
ともかく、解散です。
その記念で、レコードを作ったので、
買ってくれたら、配達しますと舞台の上で言ってました。
配達してもらっとけばよかったと今になって・・
花を添えるために森山良子が来ていたような気もしますが、
また、別のライブだったかもしれません。
アコースティックの時代で、
寂しいんですよ。舞台が大きすぎて。
でも、まぁ歌はいいんですよ身近で。
フォーククルセダースという名もカトリックの学校の匂いがします。
メンバーは府立医大、龍谷、同志社の混成チームだったようです。
ひとつくらい大学名を間違えているかもしれません。ごめんなさい。
後、先日の京都の映画「京都日和」で、医学部の教授の役でていた
北山修さんを見て、その「棒読み」と京都の学者そのものの風貌に
驚きました。
精神科の医師になったという事九州大学で教えていると言う事は
風の便りでききました。
今回、彼の精神分析の本を読んでいます。
あんな歌を書いていた人が、大江健三郎のような
文体で文章を書いています。
翻訳風な展開です。主語、目的語をはっきりさせるとこうなります。
言語とカウンセリングの事がテーマで
私にはとても面白い本です。
まさか、こんな形で再会するとは思いもしなかったので、
思い出しつつ書いてみました。
言語はコミュニケーションのツールであり、暗号ですよね。
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