沖縄の民家

諏訪 幸子

2008年03月27日 18:46


沖縄で、18世紀ころの建物が残っているのが奇跡。
首里の士族の家屋の柱を使って建てられたもので、材質は
農家では許可がされてないものが多く使用してある。
明治中期ごろ本瓦を使用。

士族のみにゆるされた建築様式を江戸期までは
日本では、伝統としてもっており、
都市部(京都、江戸)は防火のため瓦の使用が
町民にも許されたと認識している。

板の間が原則で、畳の使用が一般化したのも
そう古い事ではない。

9つの畳の座敷を持っている。
畳の目は京のものより粗いが
私たちが知る琉球畳ではなく、
畳の縁が布でくるまれた畳だった。

すばらしい建物で、
宜野湾あたりにいらしたら立ち寄られたらいい。

土間式の台所の様子だが、
日本の「走り」型の台所より、
インドネシアの台所に似ていると感じる。
主食は田芋であって、米ではなかった。
泡盛の材料もタイ米の輸入であった。。。

中村家の
すぐそばに、旧城址の中城があり、
今はそのそばにアメリカの司令基地がある。
日本の司令本部は今の首里城のところだった。
戦後は琉球大学となっていた。
今、琉大は首里より奥の西原の岡に移動して中にジャングルやダムの
ある大きな敷地の大学となっている。

司令基地にはアメリカの旗と日本の旗がふたつ並んでたなびいていた。


関連記事