街ができるまで・・・

諏訪 幸子

2012年01月18日 21:51

京都に生まれて、そのまま。
他の都市は知らない。

私には弟がいて、まったく違う育ち方をしたのだけれど、
二人とも英語喋りになった。
アメリカが作ったNDに行った私はともかく、
岡中、鴨沂、府大、京大、と公立畑をすすんだ
弟も英語を話す。
カルフォルニアの別所ファミリー(父のいとこ達)とも
先日も一緒の時を過ごしてきた。

そんな彼の初めての仕事場が「つくば」だった。
30年前。ウィスコンシン大の留学から帰ってきて
しばらくして・・・赴任した。
その頃のつくばは・・
突然、人工的な官舎が並んで、研究所がいくつも
作られて、道の向こうは田園風景で、かやぶき屋根。
道のこちらは
コンクリートと広いスペースのシリコンバレーもどき。

町の入口にバスのロータリーがあって、
少しへこませて、モールが作ってあって、
なんかアメリカの西部のうらぶれた田舎町のコーナーの
ようだった。
シェーキースのピザ屋さんがあって、
ますます、田舎のアメリカだった。
東京駅からバスで着くのがここ。

それから、30年、イギリスへ国から
行かせてもらったり、
宮沢賢治の東北の研究所にいたり・・した
彼は、また、つくばの官舎に帰ってきているので、
この街にまた行く事ができる。
あのロータリーはまだあって、立体的に
上にはバリアフリーの道ができていて、
ロボットが歩いたりしている。
シェーキーズのピザ屋はまだあるのは
ご愛敬だけれど、たくさんのビルが
あたりを埋めている。
すっかり街。
つくばエキスプレスの駅もここ。
ああ、街はこうしてできるんだと・・・・
30年の月日を経て初めて理解できたように思う。
秋葉原から1時間。京都から3時間半。
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